第12回 日露和親条約〜その1
語り手:大江戸蔵三都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。
聞き手:六角なぎさ都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。
期待のルーキー、頑張る
岩瀬さんが優秀だったっていうのはわかるけど、どんな風に優秀だったのか、いまいちピンとこないんですけど…。
岩瀬と同時代に生きたジャーナリスト、福地桜痴によると「識見卓絶して才機奇警、実に政治家たるの資質を備えたる人なり」ということだ。
じゃあ、学者っていうより政治家タイプだったってこと?
学者として優秀だったことは、前回話しただろ。むしろ“才機奇警”というところに注目して欲しいね。数少ない証言をまとめてみると、努力型と言うよりは天才肌、専門家というよりは万能の人というイメージが強い。発想の斬新さや一瞬の閃きが凄いという評価だな。
万能っていうと、他にもいろいろできたっていうこと?
書画はプロのレベルだね。文化人としても超一流だ。外交交渉中に同僚の似顔絵を描いたり、洒落を言って笑わせたというエピソードもある。機知に富み、ユーモアもあるから、会話が面白い。つまり、外交官として最高の資質を持っていたということだな。
お堅いお侍さんのイメージじゃないわね。
岩瀬の上司であった川路聖謨も、「魅力的な人物」としてロシア人達が絶賛している。「ユーモアを交えた洒脱な会話」というのが、昔から日本人の最も苦手とするところなんだけど、幕末にこうした世界に通用する社交家がいたということは、日本にとって凄く幸運なことだったんじゃないかな。
確かに欧米では、ユーモアは知性のひとつなのよね。
そう。いかに事務方として優秀でも、一本調子な話題では軽蔑されるだけ。笑わせるだけでもダメ。時に辛辣に、時に軽妙にという臨機応変な対応ができるかどうかだ。この辺の岩瀬の才能というのを、最も評価していたのが老中首座・阿部正弘だった。
でも、以前聞いた話だと、イメージ的に阿部さんと岩瀬さんて対照的な感じがするけど…。
確かに阿部正弘は徹底した「聞き役」だからね。ただ、この人は水野忠邦や徳川斉昭みたいなガチガチの強硬派と争ってきた分、岩瀬や川路のような人格的にバランスのとれたタイプに「安心感」を覚えたんじゃないかな。特に岩瀬とは歳もひとつしか違わないから、シンパシーを感じていたと思うよ。
それが、岩瀬さん大抜擢の理由っていうこと?
確たる根拠はないけどね。ただひとつ言えることは、阿部は筒井政憲のようなベテランにしても、水野忠徳や岩瀬のような家禄の低い若手にしても、身分やキャリアより人物主義、能力主義の人選を行っている。まさに「適材適所」だね。特に岩瀬の場合、部屋住みのままで登用されて、黒船が来港した嘉永6年(1853)には徒頭、そのわずか3カ月後、嘉永7年1月には目付・海防掛になって1000石を与えられている。これは異例中の異例だ。
えっ? 岩瀬さんはまだ家督を継いでなかったの?
そう。通常、養父の隠居を待って正式登用ということになるんだけど、黒船来航の有事だから、家督なんかどうでもいい、一日も早く出仕して幕府のために尽くせということだろうね。それにしても家督を継ぐ前に養父の地位を超え、同列の禄高を拝領という例はほとんど見あたらない。前年まで町奉行だった
遠山景元だって就任時は500石だからね。この好待遇を見ても、期待の高さがわかる。
岩瀬さんはダルビッシュ級のルーキーだったわけね。
ルーキーは岩瀬だけじゃない。岩瀬の従兄弟である堀利煕(としひろ)、
長崎海軍伝習所出身の永井尚志、後に東京府知事になる大久保忠寛も抜擢されている。彼らはみんなほぼ同い年だ。
いきなり若手を4人かぁ。阿部さんも思いきったわね。
下積みを経験しなかったことで、周囲のやっかみもあっただろうけど、岩瀬の場合、林家の血筋と昌平黌教授という肩書きが黙らせたんじゃないかな。それに海防掛目付、今で言うなら防衛事務次官というのは、新設の役職だから誰も経験がない。国内政治より海外事情に明るい人物じゃないと務まらないんだ。その点、岩瀬が海外事情に精通しているということについては、叔父の林復斉からお墨付きがあったと思うよ。
大学教授だった森本さんが防衛大臣になったみたいな話ね。
森本さんは就任早々、オスプレイ問題で苦しんでいるけど、岩瀬の最初のテーマは3つ。ひとつはお台場の砲台建設、二つ目は大砲の鋳造、三つ目は軍艦の建造だ。嘉永7年1月に目付になった岩瀬は、3月の日米和親条約締結を経て、5月3日に老中とお台場を検分、9日に下田へ出張命令、19日に蝦夷地御用を命じられている。
ルーキーにとっては、かなりのハードスケジュールよね。
岩瀬には勘定奉行の川路聖謨という優秀な上司がいたからね。お台場と大砲鋳造は韮山の代官だった江川英龍に任せれば良かったし、砲術は江川の師でもある高島秋帆、軍艦は永井尚志が専門だ。むしろこの頃、岩瀬に出番はなかったと言ってもいい。
じゃあ、しばらくの間は裏方として頑張ったの?
事務方として、幕閣との交渉やデモンストレーション、組織作りや予算取りといった役割を担っていたようだね。阿部が岩瀬に期待したのは専門性よりも交渉力だと思う。その証拠に、6月には異国船渡来の際にはいつでも交渉に出向くよう、申し渡されているからね。
確かに日本がアメリカと「開国」したっていう情報が出回ったら、他の国もどんどん来るものね。
特に熱心だったのがロシアだ。アメリカやイギリスがちょっかいを出してくるずっと前から、ロシアは国交を迫っていた。この経緯を逐一説明すると、これから連載を10回やっても足りないから、次回、ごく簡単に説明しよう。
幕末を代表する名官吏、川路聖謨→